yoshinobunakamura’s diary

余生(第二のチャレンジ人生)をいかに生きるか考える為にブログを立ち上げてみました。

ネパールの旅

インド2回目の旅(ブッダの歩いた道)のページに書いたように、1998年8月16日、日本を発ちバンコク経由カルカッタから列車、バスを乗り継ぎ、ブッダガヤ、サールナート、クシナガール、ルンビニーと、仏教の四大聖地に行つたのですが、ブッダの生誕の地ルンビニーはインドとの国境のすぐ近く、ネパール領内にあり、8月20日の夕方に陸路国境を越える。

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 インド人、ネパール人は往来自由、その他外国人はそれぞれの国のイミグレーションを捜し出し、出国、入国の手続きをすることになる。インド出国、ネパール入国(ビザは15ドルでその場でもらえる)の日付け入りスタンプがパスポートにないと、あとで大変なことになる。インドのイミグレーションは長屋にたくさん入居している商店の一隅にあった。

 写真右奥のゲート(門)を通過すればネパール入国である。陸路国境を越えるのは始めての経験でしたが、あっけないものでした。


 ネパール側の国境の町はバイラワです。前日は夜行列車(寝台)、前々日も夜行列車で寝台が取れず、疲れ気味のため、奮発して、ホテル.イエティ、15ドルの部屋に泊まる。ひさしぶりに大の字になって寝ることができた。翌日(21日)は、ブッダ生誕の地、ルンビニーへ行く。ルンビニーはインド編パート2を見て下さい。

 ネパールの主都カトマンドゥーまでは、夜行バスで行く予定であったが、情報を集めていると大雨洪水でどうも危ないようだ。またも奮発してバイラワから午後、国内機(BUDDHA AIR)プロペラ双発機で飛ぶ。72ドル。(大きなホテルとか、航空料金はドル支払い)。中年の日本人のおばちゃんから声をかけられる。ブッダの生誕地ルンビニーへ一人で行ったそうだ。カトマンドゥーで友だちが待っているとのこと。山登りに来たそうである。登りやすいのは乾季だが、雨季の山は高山植物を見ることができるそうである。出発時刻は1時間遅れ、フライトは40分でカトマンドゥー国際空港に到着。

 すぐさまタメル地区をめざす。安いホテル、ツーリスト向けのレストラン、みやげ物屋、旅行代理店も多く、町の中心地にも近く、何をするにも便利なところ。バンコクカオサン通り、カルカッタはサダルストリート。「地球の歩き方」の定番だ。25日にはカルカッタに飛ばなくては日本に帰れなくなる。ネパール滞在は4泊5日しかない。カトマンドゥー近郊を精力的に歩き回ろう。宿は、BUDDHA AIRで知り合ったおばちゃんから聞いていたフジゲストハウスにする。シングルベット温水シャワー付き1日15ドルを連泊の条件で10パーセントの税込みで12ドル、計5日52ドルで契約。付属レストランも安くて旨い。コーヒーも12ネパールルピー(日本円で24円)。朝起きてまず一杯の私にとって、助かる。フロントマンのナランさんは、日本語が上手い。日本の関西の人の客が多かった。口コミで人気があるホテルだそうだ。インドの旅で疲れていたので、ネパールでは5日間快適に過ごせました。ホテルの屋上から天気が良い朝は、ヒマラヤの高峰が見えるとのことだったので毎朝早起きしたのだが、雨季のため雲が多く、残念!

 今回のネパールの旅は、首都のカトマンドゥー周辺のみしか見れなかったが、北にチベット、南にインドを配した独特の混合文化の街だ。標高は1500メートルと高いが、緯度では日本列島よりも南に位置するため、年間を通じて温暖な気候だが、8月でもシャワーはホットでなくては冷たい。昼間の日射しは暑い。古都、仏教寺院を中心に回ったが、インドのヒンドゥー教の影響が強い。寺院内にヒンドゥーのシバ神が祭られていたりする。国王の宗教でもあるヒンドゥー教が国教ではある。ヒンドゥーと仏教が混然と溶け合い、同等に人々から信仰されているようだ。観光立国だけあって、旅行者にとっては旅がしやすく、治安も比較的よい。言葉に関しても、ホテルやゲストハウス、タクシー運転手や商店の従業員など、旅行者が日常的に接触する人々は、片言でも英語ができる。私より断然うまい人が多い。

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22日は町の東7キロに位置する、世界最大のストゥ-パ(仏塔)のあるボダナートへ行く。40分バスに乗って、3ルピー(6円)。ストゥ-パ(仏塔)は写真からは分かりにくいが、それ自体がマンダラの構造をなし、4層の台座は地、半円球のドームは水、四方を見据える目が描かれた部分と13層の尖塔は火、その上の円形の傘は風、先端の小尖塔は空という、宇宙を構成する5大エネルギーを象徴している。またストゥ-パはブッダの悟りと仏教の本質を、台座=瞑想、ドーム=すべての煩悩から開放された無の境地、目の描かれた塔=涅槃にいたるまでの13の階段として表現しているともいわれる。                      
手前の旗は、タルチョー(チベット仏教の祈りの旗)で、五色の旗は、地、水、火、風、空を意味する。

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ストゥ-パ(仏塔)の中央部アップ。四方を見渡すブッダの智慧の目は、常に変わることなく世界を照らしている。

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ボダナートにて、バターランプの灯明売りの親子。

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ボダナートにて。

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23日は、パタンに行く。パタンはカトマンドゥの南にある古都。写真は、パタンの中心地ダルバール広場。右側が旧王宮。まわりにはいくつもの寺院が立ち並びネパール建築がすばらしい。17世紀の建物。

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パタンのゴールデン、テンプルでのスナップ。

写真を撮ってから、周りのおばちやんから怒られた。すみません。いつもは許可を受けてからシャッターを押すのですが、おごそかに堂内から出てこられたものですからーーー。12、3才くらいか? 活仏様か?

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ゴールデン、テンプル正面入口の門の天井にはめこまれている石のマンダラ

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24日はバクタプルへ。カトマンドゥからトロリーバスで約1時間、4ルピー。(8円)交通機関はほんとうに安い。排気ガス軽減のためだそうだ。鉄道がなく、車の増加で、周辺にはレンガ工場が多く、またカトマンドゥ盆地内は風があまり吹かないそうで、大気汚染がすごい。私も咽をやられて、風邪を引く事になる。

 バクタプルは小高い丘の上に作られた、赤茶の、れんが造りの建物がびっしりと並ぶ古い町。

 ベルナルド、ベルトリッチ監督の映画「リトル、ブッダ」で、出家前のシッダールタ王子が過ごした都の様子はほとんどこのバクタプルとパタンで撮影されたそうである。帰国してからまた見ましたが、レンタルビデオ屋さんにありますよ。

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いちばん古い町並みが残る、タチュパル広場。写真は1427年建立のダッタトラヤ寺院。

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人なつっこい、子供達。次の写真の(孔雀の窓)が右上にある。ガイドブックの写真を見せたら彼女達が連れて行ってくれた。

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孔雀の窓、ネワール彫刻の最高傑作とされる、みごとな木彫である。

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バクタプルの小学校。

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スワヤンブナート寺院。タメル地区からぶらぶら歩いて30分のところにある。参道は急な石段が続く。町の西の郊外の丘の上に建てられている。

大日如来はスワヤンブナートの開基に深い関わりがあり、それは伝説として、人々の間に以下の様に語り継がれている。

 『太古、神々のおわすヒマラヤの麓に、青空を映して輝く大きな湖があった。その湖のまんなかの島に咲く蓮華から、あるとき、大日如来が姿をあらわした。

 その頃、中国の五台山にいた文殊菩薩は、チベットを経てインドへ帰国の途につこうとしていた。しかし、旅の途中でヒマラヤの湖の不思議を知った文殊菩薩は、大日如来に敬意をあらわすためにこの地に足を向けた。

 土地の人々が湖に棲む大蛇の悪行に苦しめられていることを聞いた文殊菩薩は、携えていた利剣でチョバールの山を切り開いた。怪物は湖水とともに消え去り、人の住める肥沃なカトマンドゥ盆地があとに残った。

 文殊菩薩は、小高い丘となった島の上に大日如来への奉納としてストゥーパを建立し、後にゴータマ、シッダールタとして生まれ変わる大日如来を万物の創造者として讃えたという。』

 カトマンドゥ盆地がかって湖であったことは、近年の地質学の研究によって証明されている。盆地南部のチョバール村附近の山が崩壊し、この地域の水系が激変したことは伝説の通り。しかし、それが起きたのはおよそ3万年前のことだ。土地の人はどうしてそれを知ったのだろうか。もしかしたら、大日如来がこの地にあらわれたことも、本当のことかもしれない。カトマンドゥでこの伝説を疑う人は誰もいない。

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スワヤンブナート寺院から見るカトマンドゥ盆地全景。

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スワヤンブナート寺院でのスナップ。

笛、太鼓やシンバルで神々を讃えるバジャン(賛歌)がいつまでも続く。

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スワヤンブナート寺院でのスナップ。

バターランプの灯明をあげる婦人。

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ストゥーパ(塔)を回るときは時計回り(右回り)である。仏教経典には、ブッダに対して弟子が右肩を向けて尊敬の念をあらわすシーンがよく描かれている。右回り、というのは原始仏教以来の作法なのだ。

 ネパールの女子高生。小学生、中学生は撮らせてくれるが、花の高校生は、はずかしがってなかなか撮らせてくれない。イクスキューズミー。アーユーア、ハイスクール、スチューデント? メアイ、テイク、ユアピクチュア? と言うのですが、なかなかうまくいきません。

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チベット難民キャンプがパタンの近くにある。

チベット人の中学生。

チベット人は、ネパール人よりさらに日本人そっくり。おなじモンゴリアンだから当然か!