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yoshinobunakamura’s diary

余生(第二のチャレンジ人生)をいかに生きるか考える為にブログを立ち上げてみました。

インド2回目の旅(ブッダの歩いた道)

アジア旅日記

1998年8月16日、日本を発ちバンコク経由カルカッタから列車、バスを乗り継ぎ、ブッダガヤ、サールナート、クシナガール、ルンビニーと、仏教の四大聖地に行って来ました。それの報告です。私、生まれながらにして、仏教徒ということになっているが、あまりにも釈迦、ブッダについてしらなさすぎる。2500年前の歴史上の人物、35才で悟りをひらいて80才まで45年間ガンジス河の中流域のほぼ200キロ圏の面積の中をたえず遍歴した歩く聖者、ブッダの歩いた田舎を少しだけ歩いて来ました。

 

ブッダ生誕の地(ルンビニー)は、インド国境に近いネパール、バステイア地方の小さな村にある。8月はまだ雨期で河川は氾濫し、バスで行く途中、道路に水が溢れ、辛うじて行くことができました。ルンビニー滞在中ずっと雨で、広大な聖園内をゆっくり歩けなかったのが残念でした。

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シャーキャ族のカピラ国(一部族国家)の王妃マーヤーが出産のため実家に帰る途中この地で急に産気ずき、菩提樹の木の枝につかまってブッダを生んだとされている。中程の池は王妃が沐浴し、王子の産湯にも使われたとされる。手前はのちに建てられた僧院跡。もちろん、ブッダの誕生は2500年ほど前の事であるから、その後、整備されたものである。

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ブッダ誕生を描いた復元像。右側が王妃マーヤーで菩提樹の木の枝につかまっている様子。足下中央が王子。スィッダールタ(目的を成就した、という意)と名ずけられた。姓はゴータマ、のちにブッダとなった人の誕生である。

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アショーカ王の石柱。ブッダの生誕210年後の紀元前249年にこの地に巡礼したアショーカ王が建てたものである。古代ブラフミー文字で碑文が刻まれている。「神に愛されしアショーカ王、即位20年を経た年にこの地に行幸す。この地に生まれしブッダを敬い、記念石と石柱を建立せり。ブッダの生誕地であるがゆえにルンビニーの村は租税を免除される。」と書かれているそうだ。

ゴータマシッタールタは生後七日目で母と死別。母の妹に育てられる。ゴータマは青年時代までシャカ族の都カピラバアストウノ王宮で過ごす。父王スッドーダナは、長じるにしたがってますます鋭敏になるゴータマの知能と多感を恐れた。ブッダ(覚者)になるとの予言どうりに王宮を出奔するのではないかと懸念されたのである。父王はゴータマをできるかぎり王宮内にとどめ、あらゆる娯楽を与えた。しかしゴータマは楽しまず、思索にふけっていることが多かった。

 ある時、ゴータマは三たび城外に出た。そこで見たのは疲れ苦しむ人々であった。一度目は老人、二度目は病人、三度目は死者ーーー。人は老い、病に冒され死んでいく。この苦しみを避けることはできない。ゴータマの心は、いっそう沈んだ。そして四度目に城外に出たとき、ゴータマは苦行者に出会った。彼の衣服、風体はみすぼらしかったが、表情には悠然たるものがあり、ゴータマはその姿に自分の将来を重ねた。

 世継ぎとして国を治めることも大事であったが次第に自分の生命を感じ「人はいかに生くべきか」と人間そのものの生涯を追求する日が続いた。

 若きゴータマは人間に、一体どういう苦悩や苦痛がつきまとってくるのか、を冷静に考えた。そこには、(愛別離苦あいべつりく)--愛しく執着したものとは、いずれの時にか必ず離れてしまう、そのつらさ。

怨憎会苦おんぞうえく)--いやな者いやな事であっても生活の中ですべて避けて通れない。その不安とおそれ。

求不得苦ぐふとっく)--欲しいものがどうしても手に入らず、いらだつときの苦しみ。

五蘊盛苦ごうんじょうく)--自分の心身を造り上げている五っの要素。つまり形体的なもの(色)、感受作用(受)、表象作用(想)、行動作用(行)、識別作用(識)、こういったものにいつも執着し、なかなか解き放たれないときのあせり。こうした四っの苦悩が誰にでもまとわりつくものと知った。

 19才のとき、ゴータマには長子ラーフラが生まれた。その祝宴の夜ひそかに王宮を出た。

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2、成道の地、(ブッダガヤ)。

 城を出たゴータマはマガタ国の首都ラージャグリハに向かった。ニレンジャナー(尼蓮禅河)写真中央の川、とその向こうに横たわる前正覚山。前正覚山とは、ブッダが悟り(正覚)をひらく前に修行した場所として名ずけられた地名である。

 前正覚山においてゴータマは食を断ち、あるいは悶絶するまで呼吸を停止するなどの苦行をつずけた。日々に肉体は衰えやがて極限にまで達した35才の11月、ゴータマは苦行の座を立った。極端な苦行では悟りを得られないと認識したためである。苦行を中止したゴータマは、のちに菩提樹と呼ばれるピッパラ樹の木陰で瞑想を続けた。そして35才の12月8日あけの明星が輝き出る時刻に悟りをひらいてブッダとなった。

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ブッダガヤ大塔。高さ52メートル、ブッダが悟りをひらいた地にアショーカ王によって建てられ、その後改修を重ねた。

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大塔背面にある金剛宝座、ブッダが瞑想した場所とされる。

「ブッダよ。なぜ動かぬ。行け。あわれなる者に言葉をかけよ。」悟りを得てのち、その境地を楽しんでいたブッダに、最高神ブラーフマン(梵天)の声が響いた。ブッダのつかんだ真理は人々にとって難解にすぎ、理解されることは少ないであろうが、たとえそうであっても、真理は説かれなければならない。ブッダは最初の説法の相手として、シャカ国を出て以来共に修行に励んできた5人の比丘を選び、彼等がいるサールナートに向かった。

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3、初転法輪の地、(サールナート)。

 サールナートは、ヒンドゥー教最大の聖地(バラーナシ)からバスで20分くらいの所にある。バラーナシの郊外のサールナートで、ブッダは自分の覚った真理を初めて語った。ここではじめて「言葉」になった教えは、その後世界へと広まり、多くの人の心にしみこんでいくことになる。

 写真中央奥がダメークストゥーパ(塔)、6世紀に作られ一部破壊されているが、外側の模様はきれいに残っている。手前のレンガの土台が、かって多くの僧が修行していた僧院跡。

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 ここにも、アショーカ王が建てた石の円柱の基部が残されている。

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ダメークストゥパ(塔)前にて。出家して遍歴の旅に出ていく者を沙門と呼んだ。

 サールナートで、ブッダははじめに悟りにいたる八っの方法(八正道)を示した。正見(冷静に見よ)、正思(沈着に考えよ)、正語(正確に語れ)、正業(行いを正せ)、正命(規律ある暮らしをせよ)、正精進(正しく努力せよ)、正念(目的に邪念をはさむな)、正定(心を整えよ)の八っである。

 それから四っの真理(四聖諦)を示した。苦諦(一切は苦である)、集諦(苦の原因は煩悩である)、滅諦(煩悩を滅ぼせば苦も消滅する)、道諦(苦を滅する方法が、すなわち八正道である)と。そしてまた、すべては縁によって生じ、縁によって消滅すると、縁起の法を宇宙の真理として示した。

 その後、ブッダは45年にわたる伝道の旅をつずける。

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4、入滅の地、(クシーナガル)

涅槃堂外観。

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涅槃堂内部。

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 ブッダ火葬の跡に建てられたと伝えられるラーマーバルと呼ばれる塚。

 説法の旅をつずけてきたブッダの身体は80才に達して衰えが目立った。ときに疲れを訴えるブッダに入滅の近いことが感じられ付き添っていたアーナンダ(阿難)の悲しみは深かった。そのアーナンダに、ブッダは語った。「アーナンダよ悲しんではいけない。いつも言っているではないか。生あるものはかならず滅びる。愛するものとは、いつか別れねばならぬ」と。


参考文献「地球の歩き方インド」地球の歩き方編集室     

「ブッダの誕生」松本栄一薯