2003年12月25日から1月7日までメコンデルタ地方を旅して来ました。
福岡空港からホーチミン市までのチケットを手配しましたが、一番安いアシアナ航空が62,000円であり、ギリキリ12月22日まで待てどもゲット出来ず、結果、中華航空の82.000円で単純往復航空券を購入。台北で乗り換えですが、ホーチミン市には現地時間16時20分に定刻到着。個人旅行者の旅ガイドブックは定番の『地球の歩き方』(マニアの間では酷評ですが)今回世界的に有名なロンリープラネットのベトナム版の日本語翻訳が出ましたのでこれの検証を行なうべく携えていきました。当日は中華街のチョロン地区に宿泊。翌日早朝、バスにてメコンデルタの玄関口、ミトーの町に出発。1時間30分くらいで到着。料金12,000ドン。(100円=14,000ドン)バス料金は本当に安い。ちなみに、JT製のマイルドセブン一箱13,000ドン。フジカラー36枚取り28,000ドン。庶民のビール、ペットボトル入り1リッター入りだったかな?の33、バーバーは5,000ドン。
ミトーの町にて。中学生の制服、アオサイ。ベトナム南部では中学、高校では女子の制服です。これが優雅でカワイイ!ベトナム北部に行くにつれて残念ながらアオサイ制服は少なくなります。アオサイウオッチにはメコンデルタ地方は最高です。撮らせてもらうのに苦労しますが、、、(笑)。
ミトーの町にて。アオサイその2。上着のスソは足首近くまであるのですが前スソは左手で自転車のハンドルと一緒に持つのが正しい自転車の乗り方? なようです。
メコンクルーズ。ニッパヤシのトンネルをくぐるように奥へ奥へと分け入って行きます。
果樹園で民族楽器に合わせて歌を歌っていた少女。クルーズ途中に組み込まれている果樹園訪問ではフルーツ食べ放題です。
クルーズ途中での昼食。これは有料。メコン川で捕れた魚のフライ。右側の皿にのっている米で出来たライスペーパーに魚の肉と手前の野菜を包んで食べます。冷えたビールとで、最高です。
ヴインチャン寺(永長寺)ミトーの町から1キロ東にある仏教寺院。中国とフランスの建築様式を取り入れた作り。一見の価値有り。内部も自由に撮影可。歩いて行きましたが、行き方の記載は『歩き方』はダメ、『ロンリープラネット』の勝ちでした。
ミトーにて。町の南東に公園がある。そこが、メコン川に沈む夕日の撮影のベストポイントです。
ヴィンロンの町の郊外にて。米菓子工場。後ろの観客はすべて韓国からの観光客。個人、グループを問わず韓国からの観光客がずいぶんと目立つようになりました。日本(人)がんばれ!
カントーの町にて。川沿いの公園には銀色のホーチミン像があります。少し離れたところにはホーチミン博物館もあります。
カントー、カイランの水上マーケット。竿に扱う商品(果物とか野菜)を吊るしています。
カントー、フォンディエンの水上マーケット。手漕ぎのおばちゃんボート。
ベトナムの女性はたくましい! 男は働かないのが多い。一般庶民の場合ですが、、。
ガイドブックにはカイランとフォンディエンの水上マーケットの比較で色々と書かれているがそんなに変わらない印象を受けました。ようは、早朝に見学に行くことです。けど、まだ明けきらない朝日の状態では撮影が難しいです。
カントー、ミーカンの果樹園にて。ライスペーパー作りの実演です。
カントーで宿泊したホテルのレストランにて地元の方の披露宴が行なわれていました。先撮(さきどり)した新郎新婦のパネル写真がグットですね。
バックはロンスエンの町です。小舟に乗って、ホーチミン死後、第2代首相になったトン・ドク・タンの生家がある島に渡ります。ボートチャーター往復50,000ドンでした。
第2代首相トン・ドク・タンの博物館。ロンスエンの町から20分ほど行ったオンホー島。周りには生家と廟があります。
アンザン省博物館。
ロンスエンの町中の茶店の看板娘。ベトナムコーヒーは最高です。独特のアルミの器具で抽出したものを、地元民が飲むものは濃すぎるため、好みでお湯で割って飲むといいです。一杯2,000~3,000ドンです。
チャウドック(カンボジアとの国境の町)。南西5キロ地点にあるサム山。付近には寺、廟、陵墓が点在します。チャウドックからバイクタクシーで5,000ドン。
サム山の山頂からの風景。遠くにはカンボジアの田園地帯が見渡せるとのふれこみですが、あいにくと、遠景はガスっぽくて、良く見れない日でした。
チャウドック郊外のバチュック村。
1978年4月12日から30日にかけてクメールルージュは越境してバチュックで3,157人を殺害した。生き残ったのは2人だけだったそうです。ベトナム政府が1978年末にカンボジアに侵入した理由の一つです。この「骨」寺は1,100人以上の犠牲者の頭蓋骨と骨を納めた共同墓です。近くには虐殺直後に撮影された写真を展示する建物があります。
この村に関しては『歩き方』には記載されていません。ロンリープラネットの記事を頼りに行きました。
途中の小学校、校門前にて。小学生の制服で赤いスカーフをこのように付けています。