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yoshinobunakamura’s diary

余生(第二のチャレンジ人生)をいかに生きるか考える為にブログを立ち上げてみました。

初めてのカンボジア旅

 1998年12月26日、福岡空港からシンガポールエアーにてシンガポール経由でカンボジアプノンペンをめざす。128,000円也。(社会人の辛さ、オフシーズンの倍額料金)IACEトラベルで購入。1月3日福岡空港に帰国。8泊9日の旅。1ドル118円のレートで500ドルの所持金。内訳は1ドル札100枚、10ドル札40枚。カンボジア国内では米ドルで移動、ホテル、食事は通用する。お釣りは現地通貨リエルでもらう。1ドル=3,700リエルであった。物価は現地タバコ1箱1,000リエル。つまり32円。外国タバコ(日本のマイルドセブンも売っていた)は1ドルで買える。つまり国内の免税店で1カートン買っていく必要はない。ホットコーヒーは2,000リエル。クリーニングはシャツ2枚下着2セットで1,500リエル。帰国時は12ドルの残金であった。

 

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プノンペンの宿、1泊20ドル。エアコン、バスタブ付き、側面の鏡がおもしろいでしょう(笑)。テレビはNHKの衛星放送が見れます。

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プノンペンのトゥールスレン博物館。元高校の敷地と建物を利用してポル・ポト政権下、刑務所に使われ、尋問、拷問室、収容された人々のおびただしい数の写真の展示、狭い独房、残酷な拷問の様子を描いた絵や器具などが展示されている。これは発見された頭蓋骨で形作られたカンボジアの地図である。

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同じく、トゥールスレン博物館。収容された人々のおびただしい数の写真の展示。

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 同じく、トゥールスレン博物館。兵士や拷問係には12、13才の「純粋」な子供達を使った。子供を使うことの恐ろしさは、この少年看守たちの微笑写真を見ただけで恐ろしくなる。日本の中学生たちだって昨今バタフライナイフで人を殺傷する事件が相次いで問題となっている。親と引き離し凶器を持たせて、敵がいたら壊滅すべしと教え込んだら大変なことになって当然だ。今回の旅をカンボジアに選んだ理由の一つは、映画『キリング・フィールド』を観た事でもある。レンタルビデオ屋さんにありますから御覧になって下さい。

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キリング・フィールド(殺伐の野)の納骨堂。この周辺から大量の人骨が見つかり、それらを無造作におびただしい数の人骨が布切れと化した遺品とともに納められているのを見ることができる。現在は寺院が建てられ、僧侶が英語の勉強中であった。

ポル・ポト政権が1975年4月17日にプノンペンに入城し、直ちにすべての都市住民の農村への強制移住、強制農業労働が実施され、通貨市場、私有財産の廃止、寺院や学校の閉鎖などの過激な変革が導入された。旧政権(ロン・ノル政権)関係者の処刑虐殺。内部での権力あらそいの激しい粛清と虐殺の嵐が吹き荒れ、または栄養失調や苛酷な強制労働やひどい医療などで、1979年1月7日ベトナム軍によって主都から駆逐されるまで、3年9ヶ月の間に、200万人が死に、大量の難民が流出した。

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プノンペンには2泊(帰りにもう1泊)して、次は、あこがれのアンコールワット遺跡群があるシェムリアップへの旅である。巨大な湖トンレサップ湖を高速ボートで渡るつもりが、6時出港に遅れてしまって、なにをしているんだ?25ドルがパーになる。朝7時30分出発、写真のキャブ型トラックでセカンドシートに乗ることができたが後ろの荷台には生活物資を満載しさらに人が乗って、途中パンク1回、後部板羽トラブって、12時間かかった。途中4回も軍隊警官に違法検問でドライバーは、カネを渡していた。少し前まではポルポト軍と政府軍とで取ったりとられたりの国道6号線をひたすら進むことになる。がたがたでこぼこ道なので、右にいったり左に行ったりで、40キロ以上はスピードを出せない。ほこりがすごい。しかし、ちょうど農繁期で、稲の刈り取り、脱穀風景、農村の人たちの生活をみることが出来よかった。ドライブインでの昼食もなにを注文していいのかわからず英語も通じず、おろおろしていたらドライバーの、にいちゃんがクメール料理をごちそうしてくれおいしかったし、デザートのスイカもあまくってよかった。暗くなりこころぼそくなったころ、シェムリアップの空港の点滅する高い塔が見えほっとする。料金15ドルであった。

シェムリアップの町では、「地球の歩き方バックパッカーの定番ゲストハウス(チェンラ)に泊まる。1泊2ドルの部屋。一応個室である。トイレ、シャワー室は共同使用である。プノンペンで泊まったホテルの10分の1。料金の高い部屋は欧米人、安い部屋は日本人でいっぱいであった。若い人たちからカンボジア全般及び次回の旅の為にアジア全域の最新情報を教えてもらう。これが価値がある。あと、穴場情報とかの情報収集には、個人のホームページがいいですょ。学生さん、独身の社会人、ほんとに、あちこちでがんばって旅をしている。ここでは3泊し、アンコールワットを徹底観光の覚悟である。

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アジア最大級の世界遺産アンコールワット。その規模には驚かされる。

シェムリアップでは3泊。日の出を、アンコール・ワット、スラ・スラン(王の沐浴のための池)、プノン・バケン(アンコール三聖山の一つ)から観て、日没を、アンコール・ワット、プノン・バケンから観る。

アンコール朝は九世紀から約600年あまりにわたって続き、最盛期は12世紀から13世紀始めであった。最盛期にはインドシナ半島の中央部のほとんどを領土としていた。アンコール・ワットはアンコール朝が12世紀前半に建立した寺院であり、アンコール・トムは都城である。このアンコール遺跡群のある地域はほぼ東京都区内と同じ面積の広さを持ち、ここにはアンコール朝の王都が存続していた。ここには主要な遺跡だけでも62ケ所に及んでいる。その後アンコール朝は急速に衰退する。崩壊に導いたのは14世紀半ばから約80年間続いた隣国シャム(現在のタイ)との激しい戦闘であった。そして敗北した結果1431年頃アンコール王都は放棄されてしまったのである。

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アンコールトムにあるバイヨン寺院。12世紀末に建設された、穏やかな微笑をたたえた四面仏の観世音菩薩のモチーフで有名な寺院である。

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バンテアイ・スレイのデバダー(女神)像の前にて。たくさんのデバダー像がある。シェムリアップから40キロの距離で少し離れた所にあるが、絶対に行って欲しい所。アンコールワット、アンコールトムとは、様式が異なる遺跡である。彫刻は彫りが深く、赤色の砂岩で作られている。

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プリア・カン(仏教寺院)にて。欧米系団体観光客のためにアプサラの踊りが行われていた。9世紀に生まれたこの宮廷舞踊はアンコール遺跡のレリーフにもたくさん登場する。ちょっとわかりにくいのですが、後ろの門の上部がアプサラのレリーフです。

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同上。子供達による鳥の踊り、の練習風景。

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場所はアンコール・ワット。娘達による、民族舞踊。

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プリア・カン(仏教寺院)にて。踊り子のスナップ。

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シェムリアップの女子高生の通学風景。制服、胸には校名、名前プレートを付けてバイク、自転車通学。